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1.幻のうどん白髪素麺かつて加賀藩では白髪素麺(しらがそうめん)と呼ばれた、前田家御用達の麺があり能登は輪島で作られていました。この麺は朝廷へも献上され、とても珍重されていました。北前船がさかんに行来するようになると、全国各地でも「輪島素麺」と呼ばれ広く食されるようになりました。この輪島素麺が、世に広まるまでには禅僧が深くかかわっています。 2.中国より禅僧が伝えた索麺(素麺)室町時代の頃、能登では中国から禅僧によって現在のうどんの祖となる索麺(素麺)の製法技術が伝えられました。この索麺は当時様々な形をしていましたが、やがて禅僧は細く延ばした索麺を茶の湯の席で客人をもてなすために用いるようになります。金沢に残る生麩も又、茶菓子として用いられていました。武士の世、禅宗が広まるにつれ茶の湯も広まり、索麺や麩もさかんに作られるようになりました。そうしてその技術は輪島へと伝承されていったのです。 |
3.禅宗・曹洞宗本山総持寺とうどん能登門前町にある禅宗曹洞宗総持寺は、かつては全国の曹洞宗の大本山でした。現在では明治の火災により総祖寺となりましたが、中国より能登に伝えられた索麺(素麺)はまずこちらの禅僧により大成し、全国の禅僧へと伝わったとも言われています。この総持寺では現在でも、禅道を休む日にうどんを食べる習慣があります。又、門前町には能登麦屋節という、石臼で小麦を挽く際にうたわれた民謡が残っています。 4.富山県氷見へと伝承された手延べ技術江戸中期になると、この手延べの技術は同加賀藩であった氷見へと伝えられ、更にそこから砺波へと伝えられていきました。又、その際同時に伝えられた能登麦屋節は、越中麦屋節として残っています。 |
5.加賀百万石金沢手延べうどん明治時代、世の中が変化の一途をたどるようになると、各地で愛された輪島素麺も徐々にその姿をひそめて、わずかな名残りをとどめるだけとなりました。とても残念なことです。しかしながら、その貴重な手延べの技術は伝承された地にて今も尚、大切に受けつがれています。この度「加賀百万石金沢手延べうどん」はその地である氷見の協力を得まして、再び新たに誕生致しました。他にある製法より十数倍の手間を必要と致しますため、数に限りがございます。国産の小麦にこだわり、風味を長く生かせるように油は一切使用致しておりません。冷やしても温めてもおいしくいただけます。又、パスタソースなどにもよく合います。 |